夏まぢか!庄内も先日梅雨入りしました。
実は私、先週末から土日晴れの日だけは随神門前、羽黒のクリームソーダ屋さんをお手伝いしています!
(インスタ映え間違いなし!おしゃれで美味しいクリームソーダ。絶妙な塩加減の塩ミルクジェラートがやみつきです!是非来てね!)
週に1度短い時間ではありますが、大好きな羽黒で働けてうれしいし、良い気分転換にもなっています。
出勤前に、すぐ目の前の天地金神社(てんちこんじんじゃ)に最近のよき出会いや上向いてきた日頃のお仕事の感謝をお伝えしに参拝してきました。
羽黒山・門前之宮 天地金神社
山形を代表するパワースポット・羽黒山。その自然豊かな2446段もの石段の参道り口に構える随神門。
その右側の階段を少し上ったところに門前之宮として構える朱色の雅なお宮が天地金神社。
境内は小鳥がさえずっていて、地面は緑に苔むしていてとても気持ちがいいです。
なぜ豆腐?豆腐地蔵の由来
境内の参道を進んでいくと左側にあるお堂が豆腐地蔵。
お地蔵様はなんとなくイメージできますがなぜ「豆腐」なのでしょう?
一見普通のお地蔵様です。
それには歴史と何か関係がありそうです!
ここに祀られているお地蔵さまは、慶安2年(1649)第50代天宥別当がお山の繁昌と道中安全の守りとして二の坂上御本坊の前に建立したものである。
明治6年(1873)、神仏分離で廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)が断行され、お堂は壊されお地蔵様も藪に倒された。
黒川村馬渡の与造という石工がこの地蔵様を見て「豆腐石にちょうどいい」とノミで顔面を一撃するや、いきなりその場に卒倒してしまった。
与造は板戸で運ばれ三日三晩意識が戻らずにいると、3日目に地蔵様が夢枕に立ち「悔い改めよ」と告げられた。
与造は自分の行為を恥じ、孫子三代にわたり豆腐を捧げると誓うと、4日目に意識が戻った。
これを聞いた碓氷甚内(うすいじんない)は50両の私財を投じ、人夫五百人を使ってここに運び下し祀った。
以来、延命・子授かり・安産・子育て・水子の悩みに答えてくれる豆腐地蔵様と呼ばれ、必ず願いを叶えてくれるという。
以上豆腐地蔵より頒布の資料を引用
天地金神社(旧元三大師堂)
天地金神社の社殿は朱色を基調に派手な装飾の見た目です!
両側の白い柱には朱色の龍の彫り物は意外とかわいいお顔。
天井には2体の力士が守っています。
こじんまりした社殿ではありますが、装飾は豪華で彫刻からは力強さを感じます。
それもそのはず、御祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)。
素戔嗚尊を祀り始めたのは昭和に入ってからのようです。
それまでは元三大師堂として、疫病退散やおみくじの考案者で有名な元三大師を祀っていたようです。
そういえば、以前同じ羽黒の寺院の金剛樹院さんを取材させて頂いた時、金剛樹院さんの元三大師堂に祀られている元三大師と鬼大師像は、旧元三大師堂・今の天地金神社から移したものだとお聞きしました。
歴史
昔、羽黒山智憲院の宥然というお坊さんが、法華大会の堅者(りっしゃ)という役を務めるために、近江の比叡山に登ったときに、横川(よかわ)の元三大師堂から貰い受けた画像をお祀りするためにお堂を建てた。
この時の建物は、焼けた羽黒山のご本社をかたどったものだったそうです。
この大師の画像は後水尾天皇がお書きになったものと伝えられており、幅1.8m・長さ3メートルをこえる大きなもので、宥然さんはこれを近江の比叡山から背負って持ち帰ったそうな。
このとき碓氷峠で出会った男が宥然の話に感動し、ついて来てそのまま羽黒山に住み着いて山伏になり、維新後は碓氷甚内と名乗り元三大師堂の堂番を務めたそうです。
その後、昭和39年(1964年)に素戔嗚尊を祀り、出羽三山神社の末社・天地金神社となりました。
羽黒山の石段を登らなくても参拝できる神社
観光地・パワースポットとして有名な羽黒山の中でも、随神門の手前、奥まったところにあることから地元でも知らない人や、知っているけど入ったことがない人は沢山いるのではないでしょうか?
天地金神社の社殿はとっても立派で見ごたえがあります。
一見小さくて素朴なのですが、朱色と白と金のコントラストが美しく、彫刻や装飾が雅な雰囲気でたまらんのです。
羽黒山の石段登り参拝では、それなりの準備と心構えと時間が必要ですが、天地金神社は準備や時間がなくても参拝できるので、身近な心のよりどころになりそうです。
まだ行ったことがない方には是非足を運んで頂きたい神社です。