ビデオグラファー/ドローン操縦士/ from 山形

私の人生を救った愛猫の話

最近元氣がなく落ち込みがちな福ちゃんです。

実は4月18日に息子のように愛した大切な猫ちゃんが天国に逝ってしまいました(ノД`)・゜・。

思い出しては泣き、自分を責め、完全にペットロス状態の1か月ちょっとを過ごしておりました。

先日6/6に四十九日を終えて、氣持ちの整理をしようと文章にしてみました。

プライベートな内容ですみませんが、私と愛猫「ハート」のお話です。

人生に絶望した私のところにやってきた1匹の子猫

出会い

それは2014年7月4のことでした。

朝起きたら、ミィーミィーと聞いたことのない鳴き声がした。

音の方向を探しながら行ってみると、肥料小屋に積んである、もみ殻の中に1匹の子猫がもみ殻まみれになりながら母を探して右往左往していた。

まだ目は開いていない。へその緒がついていて見たことがないくらい小さい猫だった。

いや、最初猫だか何だかわからなかった。

だって猫を飼ったことがないし、だいたい犬派だし、そんなには猫は好きではない

昨日はここにいなかった。母猫が運んできたのだろう。

母親が来るかもしれないのでそのまま放置した。

昼過ぎに見たらまだそこにいた。夕方からバイトで夜に戻るころこの子は生きているだろうか?

そう思うと放っておけず、近所のホームセンターで猫用のミルクを買いに走った。

なぜだろう?猫なんか好きじゃない。そう思いながらもお皿にミルクを入れて子猫に差し出した。

目が見えず皿の上によじ登ってミルクまみれになっている子猫をみて

(あ~あ。責任が発生してしまった。)

と思った。とりあえず仕事に行かなきゃいけないから、段ボールにタオルを敷いて、お湯を入れたペットボトルをタオルで包んで入れて、端っこの方にミルクを入れた皿も置いた。

子猫をよく見ると、しろくろ・はちわれ・ちょび髭・しっぽ短め。

突っ込みどころ満載の顔だが、この時はまだ里子に出すことを考えていた。

仕事の同僚にへその緒付きの子猫を保護したことを話すと、スポイトでミルクを飲ませるといいとか、トイレは膀胱を刺激してさせてあげなきゃいけないことを教わった。

帰宅すると、子猫は母猫を探してミィーミィー泣いていた。

それから乳飲み子猫の育て方をネットで調べた。

推定生後1日2日の子猫であること。夜中も3時間おきにミルクを飲ませる事に絶望しながら、私の子猫育てが始まった

 

その頃の私

最初の方の見出しにも書いたが、この頃の私は人生に絶望していた。

そんな大げさな!と思うかもしれませんがその時は本当にそう思っていた。

1年前、家庭の事情で東京からUターンした。

当時は仕事のキャリア・恋人・友人、東京で10年かけて築いたものを全部捨てて帰って来てやった、そう思っていた。

(前置き:自分で選んだ人生だと今は理解している。)

母の言いなりの父。祖母の介護鬱と自立した子供への過干渉の母。嫁いびりとアルツハイマーの祖母。

帰る条件は、好きな事しかしない。

前職が映像制作会社勤務だったことから、やっぱりクリエイティブな仕事は譲れない条件だった。

しかし、2013年の庄内にはまだクリエイティブ職はほとんどなく、あっても給料は東京時代の半分以下。

それなら自分でやろうと、バイトしながらブログアフィリエイトやネットビジネスをはじめた。

そして私の生き方は、母の理解は得られなかった。

就職して、結婚して、婿には農業を継いでもらって、子供を産んで、この家を守って欲しい。

毎日ふて腐れた態度で生活し、明日死んでも別にいい、人生とかどうでもいい。早く終われ

家族とはほとんど会話もなく、仕事と御飯と風呂以外はほとんど部屋から出ない生活。

ブログの記事を書くために、カメラを持って出かけているときが唯一の魂が生きている時間でした。

猫派に改宗!?家族みんなの癒しの存在に。

私がバイトに行っている間は、母が、母もいないときは従姉がわざわざ来てくれ世話をしてくれた。

「私は絶対めんどうみない」と言っていた猫嫌いの祖母もいつのまにか虜にされていた。

家族が子猫中心の生活になって行き、いつしかこの子猫を通して会話が生まれていた。

里子に出すつもりで声をかけていた方から、迎えたいと自宅に連絡があったが、私に聞く前に母が断っていた。

当時まだ小1だった甥っ子が「かわいくて目がハートになっちゃうから」という理由で「ハート」と名前を付けてくれた。

それからは、祖母の話し相手になり、母の愚痴をきき、私の鬱々とした氣持ちに寄り添って、家族みんなの癒しの存在になった。

犬しか飼ったことがなくそんなに好きじゃなかった猫。私はいつの間にか猫派に改宗していました。

ハートの1日

早朝から「飯をくれ!」と家族をおこし。

昼間は祖母の話し相手になり、一緒に昼寝。

母のミシン仕事の邪魔をしたり、たまにいろんな窓からニャルソック。

夜は大忙しで、夕飯後、母にだっこして甘えんぼタイム。その後は家族みんなの風呂に付き添い。お風呂のフタや窓のスペースに寝そべって家族のお風呂を見守る。

その後祖母の部屋に行き寝かしつけ。祖母が寝たら次は母。その後一番遅い私のお風呂に付き添い。

おふろの後は私と遊んであげる。通称ハッスルタイム。

私が離れに戻ると父の寝かしつけ。家族がみんな寝たら一人ハッスルタイム。

祖母がトイレに起きてきたら付いていき、そのまま祖母と朝まで寝ることもあった。

また甥や姪が来たときは子供たちの遊び相手もしてくれるのでした。

すやすや日向ぼっこしているハートに

「毎日優雅でいいですねぇ!かわってあげたいわ」

なんて言っていたけど、失って初めて存在の大きさに気づかされる

ハートの氣遣いとその功績は計り知れない。

変化

ハートが来てから明らかに私の生活に変化がありました。

引きこもりがちでしたが、猫と過ごすために部屋から出る時間が増えた。

YouTubeをはじめハートや愛犬の動画を配信するようになり、当時は今よりも収益化の制限がなかったのでお小遣い程度でしたが収益を上げる事に成功。

そこからはブログもハートの事だけでなく、地元の農業の事やアウトドアについてや書く内容も変わっていき、農家の方との交流もでき文章も柔らかく変化した。

ハートにいいご飯やおやつを与えたかったし、おもちゃも買ってあげたかった。そのために成功したい。行動をするきっかけをもらい、私の原動力になってもらっていたと思う。

そこから紆余曲折あり今に至る。

ハートのおかげでいつの間にか人生をあきらめずに、ゼロから築きはじめていた。

私だけでなく家族も、明らかに変わった。

祖母のアルツハイマーの症状が和らぎ、両親も機嫌がよい日が増えた

今まで家族に言っていたどうでもいい小言も、ハート相手に完結するので家族のストレスも半減。

母の小言が私に向けられることも少なくなり、前よりは付き合いやすくなった。

ハートは家族にまんべんなく絶妙なバランスで接することで、時には癒すの存在に、時には緩衝材になってくれていたのだ。

まだまだ一緒にいれると思っていた

ハートが我が家に来てからもうすぐ8年が経とうとしています。

私は起業したもののまだまだ成功にはたどり着かず、ただただ試行錯誤を重ねながら忙しい日々を送っていた。

毎日リビングでヨガをしていると、遊んでほしくてわざと邪魔をしてくる。となりに座っていると必ず体のどこかを私にくっつけてくる。

(もっと一緒にいたいなぁ。でも今が頑張りどき。軌道に乗ったらハートのために時間を作ろう)

(今日は疲れているからまた明日遊んであげよう)

ハートの事は二の次になっていた。

それでもその日はやってきた

今年2022年4月17日の事。

その日は稲の種まきで家族みんな大忙し。親戚も手伝いに来てくれていて、ハートも2階で寝ていたし、なかなかハートにかまってあげられなかった。

夕方種まきが片付き家に戻ると、あちこちにハートが吐いた形跡。

庄内中の動物病院に電話したがその日は日曜日でどこも電話に出てくれなかった

明日朝一で病院に行くしかないと様子を見ていましたが、みるみる悪化していった。

内陸の病院にも電話したが連絡が取れなかった。唯一連絡が取れたのが仙台の夜間救急動物病院

その時点で夜10時を回っていましたが、両親とハートを連れて到着したのが深夜1時過ぎでした。

先生にハートを預け数十分後家族が呼ばれた。

「手術をしないと原因を処置できないが、今のハートは麻酔をしただけで十中八九心臓が止まってしまう。どうされますか」

うそだ。あぁもうハートは助からないのか。

なにも答える事が出来なかった。

母が「手術をして苦しい思いをさせるより、連れて帰ります。」

そう答え、帰路についた。

すでにハートの意識はなく苦しい最後ではない、と言われたことだけが救いでした。

2022年4月18日午前2時過ぎ車の中で息を引き取った。

もっと早く氣づいてあげていたら。

せめて日曜日でなかったら。

もっと一緒にいてあげればよかった。

いろんな事が駆け巡る。

朝方、自宅に着き祖母に報告すると、祖母の落胆もひどかった。

お別れと最後の約束

その日は仕事で出かけたが夜は一緒に過ごし、隣で寝た。

翌日午後最後のお別れを行った。

姉一家も来てくれた。姪っ子はお手紙を書いてきてくれた。

にゃる(愛猫2号)はわかっているようだ。ついおとといも2人は喧嘩したばかりだ。

じっと動かなくなったハートを見つめる。

しかしハートがそこにいるかのように、いつもハートがいた場所には絶対に座らないのだ。

ハートは自宅の裏の畑に埋葬をして、その場所に花壇を作った。

埋葬する前に私はハートを最後に抱きしめてある約束をした。

うちの子に生まれてくれてありがとう。またうちの子として生まれてくるんだよ。

その時は私にわかるようにちゃんと印をつけて生まれるんだよ。

必ず見つけてあげるからね。

それまでに私もお仕事を頑張って、ハートとしたかったこと、してあげたかったこといっぱいしてあげるからね。

ハートにもらった希望

今日ここまで書くのに何日もかかってしまいました。

だって涙があふれて進まないから。

でももうこれで涙は最後のするよ!

あんまり悲しむと逝けないと聞いたことがあるから。

ここまで長々と呼んでくれた方ありがとうございます。

ハートがうちに来てくれなかったら、今の私はいないでしょう。

最後に一つ目標ができました。

私の以前からの映画が撮りたいという目標があるのですが、そのひとつとしてロードムービーと掲げていました。

もうひとつ新たな目標として猫の映画を撮りたいと思うようになりました。

こんなに素晴らしい生き物は他にいないし、猫に人生を救われた人は沢山いるし、実際そのような映画も沢山ある。

今度は私の視点で描いてみたいし、今いる2匹も含め猫たちに恩返しがしたい。

ハートと再び出会うためにも、これからまた、一歩歩き出したいと思う今日この頃です。

ABOUT US
福ちゃんビデオグラファー・ドローンパイロット
山形県庄内地方を拠点にフリーランスで『映像制作』『ドローン事業』『情報発信の支援事業』の活動をしている福井理紗です。 またYouTubeにて、美しい自然や伝統文化を映像作品として公開しています。